カズの小説 紅の宇宙


 第2話(その1)


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 美しい緑の広葉樹林に囲まれた森の中の道を、青年は息急き切って走っていた。燃えるような赤い髪を風になびかせて、額には珠の汗をかいている。両手に彼の髪をもう少し濃くしたような赤いバラと、純白のバラの花束を抱えて、心をはずませていた。
「今日こそ、彼女に言うんだ。ぼくと結婚してくれって」
 士官学校の卒業をひかえて、青年は長年の我慢を捨てるときが来たことを感じていたのだ。彼女と知り合ってもう八年になる。父が王室の歴史研究首席委員に任命された時だから、ちょうど彼が小学校を卒業したばかりのころだ。
 初めて会ったときの彼女は、彼より二つ年下の少し男勝りな少女だった。王宮に出入りが許される王国貴族メルリーン伯爵の娘であったので深窓の美姫を想像したものだったが、実際は随分とおてんばなお姫さまだったのである。父の仕事で屋敷を訪れたとき、彼女は紹介されるやいなや、「わあ、赤毛、赤毛」と言ってまだ純真な少年の髪をつかんで放さなかったものだ。それから彼が屋敷を訪ねるたびに彼女は待っていたように喜び、二人はすぐに仲良くなっていった。大人の心配も忘れて悪戯をしたり冒険をしたりの毎日がよく続いたものだった。
 あれから、何年たった頃だろうか。おてんばな娘は美しい女性に成長し、少年も立派な青年に成長していた。二人の仲は、自然なうちに友達から恋人へ、お互いになくてはならない存在になっていた。
 森の道を越えて青年は大きな屋敷の門をたたいていた。彼の求める女性は、門の奥の立派な屋敷のなかにいる。青年は息を整え、ポケットからハンカチをだして汗を拭いた。召使に話をして、彼女を呼び出してもらう時間の長さを無限のものに感じたのは、彼の精神が限りなく高揚していることを物語っていた。実際は数十秒も待っていないのだが、彼は何時間も待たされた気分になっていたのである。
「……そんなに慌ててどうしたの。……汗をかいているじゃない」
 扉を開いて出てきた少女は、青年の突然の来訪に驚きを隠せなかった。彼女の目に映った青年は、片手にバラの花束をかかえ、いつになく真剣な顔をしていた。少女は直観的に事態を理解したが、言葉になって出たのは意味のないものだった。
「早く拭かないと、風邪をひくわよ」
「あっ、いや。……汗は拭いたんだけどね。なんか次から次へと出てきちゃって。あは!今日はちょっといつもより暑いね」
 青年は緊張していた。昨夜から練習したはずの言葉が素直に出てこなかった。少女は青年の姿にもどかしさを感じながら黙って次の言葉を待った。
「レティシア、今日来たのは……」
 青年は持てる勇気を総動員して必死に次の言葉を発していた。
「はい」
 少女は青年の言葉を息を飲んで待っていた。
「今日来たのは……レティシア!ぼくといっしょになって欲しい。今すぐでなくてもいいんだ。ぼくが出世してからでもいい。だから、ぼくと結婚してくれないだろうか」
 夏の暑い日差しを背に受けて赤い髪の若者は、金髪の清楚で可憐な少女に恐る恐る両手の白と赤のバラの花束を手渡した。少女は、にっこりと青年に微笑みかけ、白く細いその腕に花束を受け取った。
「はい」
 少女はうれしさと恥ずかしさにうつむきながらもはっきりと答えていた。
「やったあ。ありがとうレティシア」
 青年は大声をあげて飛び上がっていた。緊張と不安が一気に飛び去り、代わって喜びが彼の心を支配したのだった。
 いつのまにか青年の腕の中には少女が抱かれ、二人の幸せそうな明るい笑い声が周りに響いていた。二人の幸福はいつまでも続くかのように思われた。

 惑星フェリザールの西半球は、人類の故郷である青き星の半分と同様に、深淵の闇の中にあった。母なる太陽は、まだフェリザールの東半球の上にあって人々に慈悲の光を与えていた。人類文明の五分の一をその支配下におく恒星間国家クレティナス王国の王都は、惑星フェリザールの北半球、現在夜になっている大陸にあった。
 王宮から二○キロほど南にいった市街地のはずれにクレティナス戦略宇宙軍の官舎がある。独身の将官や単身赴任の将官が三百人ほど暮すちょっとした高級マンションである。戦略宇宙軍に属す第四四艦隊司令官アルフリート・クライン少将はその官舎の一室に自分の生活の場をもっていた。といっても、遠征で宇宙に出ていることが多かったアルフリートにとっては、この官舎のほうが仮の住居と言ってよかったが。
 ベルブロンツァでの戦闘を終えて三ヵ月ぶりに家に戻ってきたアルフリートは、その夜宇宙での疲れを忘れゆっくりと眠ることができるはずであった。しかし、久しぶりに軍服を脱ぎ軽い夕食をとって温かいベッドに入ったアルフリートは、なかなか寝付けずに苦痛の時間を過ごしたのち、思い出したくもない昔の夢を見ることになったのだった。

「レティシア、行かないでくれ。ぼくを置いてかないでくれ」
 金髪の美しき女性は目を細め哀しい視線でアルフリートを見つめていた。
「ごめんなさい、アルフ。でも、どうにもならないのよ、私たちの力では」
「だったら、逃げよう。いっしょにこの国を捨てて、まだ知らない国へ。ぼくたち二人なら、どんなことがあってもやっていけるはずだ」
「だめよ。あなたは、わたしにあの老父を置いてこの国を捨てろというの。わたしにはそんなことできない。今までこんなにも愛してくれた老父を残して行くなんて」
「レティシア!」
「許して。わたしはもう決めたの。アスラール殿下の許に行くことに」
 レティシアのほおを大粒の涙が伝っていた。アルフリートは体を震わして彼女の腕をつかみ、もう会うことができないかも知れない恋人に心のすべてをぶつけていた。
「ぼくはどうなる。君を失ってぼくに何が残るというんだ」
「愛しているわ、アルフ。今までも、これからも。……でも、ごめんなさい」
 アルフリートは立ち尽くしていた。迎えにきた王宮の車に乗せられていくレティシアの姿を、いつまでも彼のエメラルドグリーンの瞳は追っていた。
 彼女は次期国王に決まっていた王太子アスラールに見初められたのだった。王宮の舞踏会で踊る彼女の姿を見て、一目でほれてしまったというのである。彼自身は直接彼女に対して妃になるよう強制はしなかったのだが、彼の取り巻きたちが彼の関心を買おうとあちこちに手を回し、結果的にアルフリートの前から彼女を奪っていったのである。婚約が決まってからまだ一ヵ月も経っていない時のことだった。
「何が王太子だ。王子様なら何をやってもいいっていうのか」
 アルフリートの悲痛な叫びはいつまでも町を覆っていた。
 しかし、そんなやるせない気持ちのまま時を過ごしたアルフリートを、三ヵ月後もう一つの不幸が襲った。唯一の肉親であった父ジークフリード・クラインの死である。
 彼の父ジークフリードはクレティナス王国の下級官僚で宮廷書記官を務めていた。実直な性格の男で職務を忠実にこなし何事においても隠し事がなかった。そのせいか、平民という身分ながらもメルリーン伯爵などのような貴族の友人を持ち、同僚からの評価も高かった。
 しかし、彼には誰も知らない奇行があった。宮廷書記官という役職を利用して、王宮に保管されていた歴史書を調べていたのである。当時、クレティナス王国を含め銀河に存在する国々は独自の歴史を有し、それ以外の国の歴史の存在や研究を許していなかった。しかも、それぞれの国が採用する歴史にはどれもこれも一部に不自然なところがあり、人類としての正しい歴史を伝えているものは何一つなかったのである。以前から、歴史研究に興味を抱き、どうして不自然さが残っているのか調べ続けてきたジークフリードは、たまたま書類を取りにきた王宮の書庫で疑問を氷解させる書物を見つけたのだった。
 それは、五世紀以上昔の歴史家アウター・フォーエンの手による書「人類の歴史」であった。ジークフリードはそこで一般の人々に知られていない真実の歴史を知ることになった。不自然さの残る歴史の謎、千年帝国成立以来すべての国々で消され続けてきた事実。ジークフリードはすべてを知ったとき今までの価値観が崩れさるのを感じた。
 その後、彼は歴史の探求に精力を尽くし、彼なりの歴史観で人類史をてがけている。しかし、そんな折りジークフリードは突然の失踪をとげた。アルフリートがちょうど新米の少尉として初陣に臨んでいた時である。二週間後、彼が戦場から戻ったとき、ジークフリードは帰らぬ人となって発見されていた。酔って川に落ちての心臓マヒだったと伝えられている。
 アルフリートは泣いた。最愛の恋人を失い、唯一の肉親である父を失った。この世のすべてが嫌になり、酒に溺れた。彼が最初に功績を上げた戦いも、半ば自暴自棄になった人間だからこそできた作戦であった。軍での地位があがり若き英雄とあがめられても、それから半年間の彼は乱れた生活を送った。アルフリートが本当の意味で立ち直り、クレティナスの英雄への道を歩きだしたのは、父の残した彼への手紙を見つけた時からであった。
 それは次のようなものだった。
『……アルフリート、私の命は長くはない。私は秘密を知ってしまったのだ。この国の次なる国王アスラール殿下の秘密を。……私はそのことを誰にも言うつもりはない。だが、このまま生きていけるのか私には自信がない。そこで、お前にひとつだけ頼んでおきたいことがある。私のできなかった本当の歴史を取り戻してほしいのだ。この国だけではない。銀河の歪められた歴史のすべてをだ。忘却の淵に葬り去られた人類の真実の歴史、真の自由と平和に満ちた偉大な歴史を……』
「父さん!」
 アルフリートの父は宮廷内の争いに巻き込まれて死んだのだった。アルフリート自身、詳しいことは知らない。しかし、王太子アスラールが関係していることは確かだった。父も恋人も、すべて王宮という平民の力ではどうにもならない世界の力に翻弄されたのだった。
「倒してやる。国王も貴族もすべてだ。そして……銀河に歴史を取り戻すんだ」
 この日以来、アルフリートのたった一人の戦いは始まった。彼の脳裏にはもはや昔の恋人を取り戻そうなどという考えはなかった。より大きな、忘却された歴史を取り戻すための戦いである。彼のエメラルドグリーンの瞳は再び輝き始めていた。




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